生きている意味がわからない ***
毎日、職場と家の往復ばかりで、友達とのコミュニケーションや家族との何気ない会話、恋人とのデートなどのイベントに無縁だと「何のために生きているんだろう」と思うことがあるかもしれません。
同世代が子育てに追われていたり、子供を一人前に育て上げているのをみると、自分は人生に何も残してこなかった感に襲われたり、学校のときはどうってことがなかったクラスメートが、大学教授とか会社の管理職、有名女優など、ひとかどの人物になっていたりすると、マウンティングをしているつもりは無くても、敗北感を味わうこともあるかも。
また、独身だと一部の人たちに「生産性がない」と言われてしまったりするのも、男女の区別はないようです。たしかに、子供を産んで次世代に繋いでいくのは動物的には自然の摂理なので、その側面から「生産性がない」と言われれば、「はい。おっしゃるとおりです。」となるでしょう。大学教授や企業の管理職も、社会、経済を活性化させているので生産性があると言えるでしょうし。
じゃあ、独身で子供がいなくて、教授や管理職でもない自分は何のために生きているのか。
その答えは…「無し」。何のためでもないと思います。
ある日、気づいたら自分が生まれてしまっていたから死ぬまで生きていくしかないだけで、それは自分でも大学教授でも子育てに追われている友達でも皆おなじ。
「何のために」とかは、考えてはいけない、考える価値のない、考えても答えはないものなのではないでしょうか。
「総理大臣になって日本を良くするため」などの使命を持って生まれてきた赤ちゃんは、多分皆無だと思います。(「多分」じゃないか;)
大学教授も、父親母親になった友達も、たまたま、ある結果を残しているだけで「何かを残さなくては!」「何かのために生きなくては!」なんていうプレッシャーは感じる必要がないと思います。
人生ひまつぶし ***
野生の世界で、例えばライオンもおひとりさまは多数います。雌の奪い合いで勝ったものだけが結婚できる。(まさに「勝ち組」ですね)
ライオンの場合、雌を勝ち取れなかった雄のおひとりさまは昼寝しかやることがなさそうですが、私たち人間には選択肢がいっぱいあります。
例えば、
- どうしても結婚したいなら婚活パーティに参加してみる
- 誰かと時間を共有したり、話をしたいなら趣味のサークルやスポーツジムなどに通ってみる(これは素敵な出会いも期待できますね)
- 何か人類のために役立ちたいならボランティアに参加してみる
など。
綾小路きみまろさんが「人生ひまつぶし」という題名で講演をしていたのを、たまたまテレビで見ました。講演の内容は、題名そのままの意味ではなかったのですが、画期的な題名に目からコンタクト(してませんが)が落ちたような衝撃と、開放感を覚えました。
「何のために生きているのか」ではなく、「人生が終わるまでのヒマな時間をどう過ごすか」「何をして過ごすか」という発想で毎日を見つめなおしてみると、新しい何かが見えてくるかもしれません。
*あくまでも個人の見解ですので「そんな考え方もあるのか」程度にご覧いただければと思います。
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男女問わず好評の、バイブルにしている方もいるという本です。